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学びの高野街道

学びの高野街道灯

高野街道について

河内長野市域内の高野街道全コースについて検討した。 高野街道の特定は江戸時代後期の時代をもととした。 道の基本は、物流であり、人の往来であるが、時には疫病、 戦災をもたらした。道は物流の変貌に影響されている。 すなわち、明治の鉄道開通、昭和には車の登場等により変貌し、 またその道を特徴づける呼び方で呼ばれることとなった。 地名について、江戸時代、河内長野市域には、三十八の村がありその村名を基本にした。

市村、市村新田、小山田村→原村→古野村→長野村(長野村で西高野街道と合流) →喜多村→上田村→三日市村→片添村→新町村→石仏村→下岩瀬村→清水村→上岩瀬村→下天見村→上天見村

江戸時代、寺ヶ池を築造し(1649年頃)市村新田が開発された。 池の築造に伴う換地がおこなわれ、小山田村の飛地が錯綜していた。 飛地が解消されたのは平成になってからである。

東高野街道

道路を公による整備管理が、古代律令制度の成立のなかで、地方と都を結ぶ官道として設定された道のひとつが、南海道である。
(東海道、山陽道、山陰道等。南海道は、紀伊から四国へ阿波、讃岐、伊予、土佐と都を結ぶ)都が奈良から京都への遷都に伴い南海道もルート変更がおこなわれた。 この道が東高野街道のはじまりとされている。ルートは、後に大阪湾岸(和泉)へとさらに変更された。

河内長野市内の高野街道のコースおよび多くの解説は、河内長野郷土研究会会長椋本進氏のご指導により作成した。 解説の一部は、河内長野市教育委員会発行の冊子「高野街道」・「高野詣」の中より承認を得て引用した。

令和3年3月 河内長野ロータリークラブ
学びの高野街道プロジェクト実行委員会