四釣樟村
(よつるくすのきむら・よつくぬぎむら)
弘法大師伝説と盛松寺

弘法大師伝説と盛松寺

空海が留学から帰国し、槇尾寺に滞在していた頃の出来事。この地域に疫病が流行していることを知り、まず壇を築き祈祷し、 疫病の対策を指示、結果疫病はおさまった。そして祈祷された壇の地から1本の樟が芽を出し、 成長しやがて4本の枝が四方に広がり霊木として信仰をあつめた。 その樟も江戸中期に枯れたが、享保7年(1722)この霊木で弘法大師像を造りご本尊としてお祀りして、盛松寺が建立された。「 与津のお大師さん」とよばれ冬至の頃、「ゆず味噌」をお参りの人達に振るまわれている。 また江戸後期には四国八十八ヵ所巡礼霊場が裏山に設定され多くの人達がお参りした。 西高野街道と中高野街道の合流点より少し西に入ったところにこの盛松寺がある。