割坂の地蔵堂と石碑
割坂の下り口三叉路に地蔵堂がある。かって古野阿弥陀寺があった。東に向えば、錦渓山極楽寺(融通念仏宗)。 明治初め頃、古老の話によると割坂の両側から薮がせまって昼でも暗く、「くらがりざか」とよばれていた。 その頃の長野村は、街道筋の家屋はわらぶきで、今の長野駅のあたりは田圃がひろがっていた。 そして夜には狐の鳴き声が聞こえていたそうである。
割坂の下り口三叉路に地蔵堂がある。かって古野阿弥陀寺があった。東に向えば、錦渓山極楽寺(融通念仏宗)。 明治初め頃、古老の話によると割坂の両側から薮がせまって昼でも暗く、「くらがりざか」とよばれていた。 その頃の長野村は、街道筋の家屋はわらぶきで、今の長野駅のあたりは田圃がひろがっていた。 そして夜には狐の鳴き声が聞こえていたそうである。